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世界を信じている(4月17日全校礼拝にて)

新約聖書ルカによる福音書 23章44~49節

 

Only Oneを見つける。
聖人になる。
聖学院にいる間に考えてほしいことです。

そのために必要なもの。
入学式、始業式で読んだ聖書があります。
創世記の天地創造の場面。
ここにOnly Oneを見つけるために大切なことが書かれてあります。
神様が世界を造った。
その時、神様はご自分の造ったものをご覧になって。こう言います。
「良い」と。

この世界はどんな世界か。
世界は良い。
それが聖書が語っている私たちの世界です。
それは私たち聖学院も同じです。
Only Oneを見つけるために必要なもの。
それは、この世界は良いと信じること。
この世界は大丈夫だと信じること。
それがOnly Oneを見つけるために必要なことです。

Only One、聖人
私たちはそれを目指しますが、その一本のお手本はイエス・キリストです。
今日読んだ箇所はイエス様が十字架にかかる場面です。
教会の暦では今週は「受難週」と呼ばれる週です。
イエス様の最後の一週間
それを覚える週です。

イエス様の生涯。
そこで主になさったことは「律法」についてのお話しです。
「律法」とは神様について書かれているものです。
「律法」について話すとは「神様」について話すことでもあります。
イエス様は「神様」について語った方です。
当時の社会で「律法」「神様」について話すことを仕事にしている人々がいました。
律法学者や、祭司たちです。
イエス様の言葉は律法学者や祭司たちの言葉とは違っていました。
イエス様は問いかけたんです。
律法には本当にそんなことが書いてありますか?
神様とは本当にそういうものですか?
問いかけました。
本当の律法とはこうではありませんか。
神様とは本当はこういう方ではありませんか。
イエス様は問いかけ、語りかけました。
その言葉を聞いて、人々は喜びます。
ただ、人々が喜べば喜ぶほど、律法学者、祭司たちはおもしろくありません。
イエス様の言葉が、イエス様が邪魔になってきました。

イエス様がエルサレムに入ります。
人々は大喜びをします。
その様子をみて律法学者、祭司長たちはいよいよ面白くなく
自分たちの立場が危なくなると怖くなりました。
彼らは決断します。
イエスを殺そうと。

大歓迎をされていたイエス様ですが、裏切り者のユダを利用してイエス様を捕まえることに成功します。
ユダヤを統治していたローマの総督・ピラトのところにイエス様を送ります。
「この男は犯罪人で、死刑に値する」と。
祭司からの訴えですからピラトは真剣にイエス様を取り調べます。
しかし調べても調べても、死刑にあたるようなものは何も見つけることができません。
むしろ良いことばかりが出てきます。
ピラトはイエス様を釈放しようとします。
ところが祭司長たちは人々を扇動して「十字架にかけろ」と騒ぎを起こします。
困ったピラトはとうとうイエス様を人々に預けます。
その結果、イエス様は十字架にかけられます。

この世界は良い
聖書の言葉をイエス様も知っています。
では、イエス様から見て、この世界は良い世界ですか。
何も悪いことをしていないのに、殺される。
この世界のどこがいいんですか。
イエス様はこの世界をどう見ていたのか。

十字架でのイエス様の最後の言葉です。
「父よ、私の霊を御手に委ねます」

この言葉はどういうものですか。
神様に任せる。
諦めの言葉?
違うでしょう。
絶望の言葉ではないでしょう。
神様を信じている。
世界を信じている。
この世界は良い。
信頼をし、希望を持っている言葉です。

「父よ、私の霊を御手に委ねます」
私の命が終わっても世界は続いていく。
良い世界へと続いていく。
世界は良いと信じ切る。

Only Oneと出会うために私たちが覚えておかなければならないことです。