【クリスマス礼拝メッセージ】イエス・キリストは人の本当のかたちを伝えてくれた方 12月20日(金)
新約聖書マタイによる福音書1章18~25節
私たちは奴隷でしょうか。
違う。
私たちは奴隷ではないとすぐに答えるでしょう。
支配をされていないから。
本当にそうでしょうか。
支配を角度を変えて言い直した言葉が依存です。
お金に依存している。
お金がなければダメだ。
お金が増えれば嬉しくなる。
お金がなくなれば悲しくなる。
お金に頼っている発想ですね。
お金に依存をしています。
それは言葉を変えるなら、お金に支配されているということでしょう。
皆さんならば、どうですか。
試験の点数。
進学先。
それが立派なものだと嬉しくなり、逆のものだと悲しくなる。
それも学歴、点数に依存をしている。
学歴、点数に支配されているということです。
自分を支配している富や学歴。
こう言ったものを自分から引きはがす、支配から脱却をすることはできるでしょう。
では、家族はどうですか。
大切な、大好きな家族です。
その家族との間に支配、奴隷関係があるとは考えたくないですが
家族を頼ってはいませんか。
家族がもしなくなれば、自分はどうなるのか分からない。
そう考えるのが普通です。
ですが、家族と自分が連動してしまっているのなら、先ほどの「富」や「学歴」と同じでしょう。
「冨」「学歴」との間に奴隷関係があったのなら家族との間にも奴隷関係があると言わざるを得ません。
ただ、「富」や「学歴」は自分から引きはがすことができましたが、家族はどうでしょうか。
「血」は私たちからはがすことはできません。
ならば、私たちは奴隷から抜け出ることができないのか。
イエス・キリストは乙女マリアから生まれたとなっています。
生命が誕生する生殖行為から生まれたのではない。
すなわち、血が血を生んだのではないということです。
ルカによる福音書にイエスの系図があります。
イエスからさかのぼるものです。
それはやがて、アブラハム、アダムにまでさかのぼります。
そして最後に登場するのが「神」です。
私たちは両親の顔を知っています。
そのご両親を生んだ祖父、祖母のことも知っています。
ではその先はどうですか。
そのもっと先はどうですか。
見たこともない、写真もない、名前だって分からない。
でも、私たちがここにいるということは必ず誰かがいるんです。
その先の先
一番の根っこ。
聖書に従えば、最後は神に行き着く。
私たちは神の血を引き継ぐものです。
ご両親を大切にする。
良いことです。
是非、行ってください。
でも忘れないでください。
私たちは両親の子でありますが、その血は両親からだけもらってきたものではないのです。
イエス・キリストの誕生を預言した言葉
おとめがみごもって男の子を生む
その名はインマヌエルと呼ばれる。
インマヌエル
神が共にいる。
おとめからこどもが生まれる。
血によって生まれるのではない、
神によって
神の子として生まれる。
イエス・キリストだけのことを言っているのではありません。
イエス・キリストは人の本当のかたちを伝えてくれた方です。
人とは本当はなんなのか。
私とは本当はなんなのか。
両親から生まれた。
だが、それはそのもっと先から受けた命。
神から与えられた命をまっとうするもの。
Only One、聖人
人に依存し、支配されて作られるものではありません。
家族、仲間、そのずっと先にある神
そこに心を馳せて出会えるものです。
2024年クリスマス。
自分の心の奥底に潜り、本当の自分を見つける旅に出かけてください。