過去や未来ではない今のわたし(11月28日全校礼拝にて)
使徒言行録9章10~16節
私たち聖学院が大切にしている言葉
聖人
Only One
これらはすべて聖書の思考から生まれてきたものです。
今日、読んだ聖書
ここのどこに聖書の思考があるのか、考えてみましょう。
アナニヤという人が登場します。
この人に神様が話しかけます。
サウロが困っている。
そのサウロを助けてやれ、と。
これに対してアナニヤは拒みます。
サウロのこれまでを知っているからです。
サウロが教会のものに暴力の限りをつくしてきたこと。
今も、それを実行しようと、ここにやって来ていること。
だから自分はサウロを助けに行くことはできないと。
このアナニヤの応答はもっともです。
ただ、神はこのアナニヤの応答を聞き入れません。
いいから、行け、と言います。
アナニヤと神
何が違うのか。
アナニヤの発想、考え方は次のようなものでしょう。
アナニヤはサウロを判断するのにサウロのこれまでを見ています。
これまでのしてきたこと、それがサウロだと。
過去が今を形作っている。
これは普通の私たちの考え方です。
ただ、神はそこを見ていない。
過去を重要視していない。
神は何を見ているのか。
過去とは何でしょうか。
私たちが経験してきたこと
私たちを形作っていることでしょう。
ただ、この過去を私たちはどうにかすることができるでしょうか。
過去を変えたい。
私たちはどんなにそれを願っても、行うことはできません。
未来はどうでしょうか。
未来に希望を持つ。
未来に怯える。
色々あるでしょうが、その未来を私たちはどうすることも出来ません。
私たちにはどうすることもできないもの。
私ではないものですから、過去も未来も「他者」としましょう。
私たちのすぐそばにいる他者もそうです。
友達、家族、好きな人、嫌いな人
色々な他者がいますが、その人たちを私たちはどうにかすることができますか。
こうなってほしいと願うことはあっても、その他者を私たちは変えることは出来ません。
他者は変えることができない。
他者には触ることができない。
ならば変えることができるものはなんですか。
他者ではないもの。
過去ではないもの。
未来ではないもの。
それは一体、なんですか。
今のわたしでしょう。
私たちは今の私しか触ることができません。
触れないもの
変えられないもの。
そんなものに関わっても、何も生み出せはしません。
今のわたし
他のものにぶれずに、今のわたしにしっかり心を定める。
それがOnly Oneであり、聖人です。
Only Oneとは何か?
聖人とは何か?
今のわたしだけが知っていることです。
それを見つめる今日にしてください。