本物が歴史の中で受け継がれて行く(10月10日全校礼拝にて)
使徒言行録7章54~8章1節
聖学院はなぜ聖人を作る
Only Oneが大切
凸凹でいいと言ってきているのか?
使徒言行録のステファノの物語から、私たちはそのことを考えています。
ステファノの物語の復習です。
ステファノは今捕まって裁判にかけられています。
イエス・キリストについて語ったからです。
ステファノは自分の行ってきたことを説明するために、イスラエルの歴史について語ります。
私たちはこういうものでしたよねという確認を裁判の席で語っています。
最初に語ったのはヨセフです。
ヨセフは夢を解くものでした。
ヨセフのOnly One、賜物です。
ただこの賜物を用いても、彼は幸せにはなれませんでした。
家族から嫌われエジプトに売られてしまいます。
エジプトでもその賜物を用いますが、一時は喜ばれてもすぐに忘れられてしまいます。
物語は最後ファラオに認められることになってはいますが、ヨセフの人生のほとんどは賜物を用いても批判され、憎まれるそういう時間でした。
エジプトにいるヨセフのもとに家族が集まります。
その後何代か経ってからヨセフのことを知らない王様が位に着きます。
数が多くなったイスラエルの人々はエジプトで嫌われます。
重い労働が課せられて奴隷状態が続きます。
神様はそのイスラエルの民を救い出そうとしてモーセを指導者に立てます。
モーセに導かれて約束の地に帰るためです。
神様から与えられた使命、賜物
モーセはそれを用います。
ですが、民はモーセを受け入れはしません。
偶然にイスラエルの民はエジプトを出ることになります。
イスラエルの長い旅が始まります。
その旅の間、民はモーセに文句を言い続けます。
挙句の果てにはモーセを裏切るようなことさえします。
モーセは自分の賜物、オンリーワンに忠実でした。
ですが、人からは評価をされてはいませんでした。
モーセは結局イスラエルを目前にしてその生涯を閉じます。
自分の賜物に忠実だったモーセ、ヨセフ、彼らは決して幸せな時間を過ごしていたわけではありませんでした。
この物語を語っているステファノ
彼もまた今日の聖書の箇所では石を投げつけられて殺されてしまいます。
ステファノもまた自分の賜物に忠実だっただけです。
Only One、賜物、凸凹で行く。
それを実行した人々は幸せな生活をしていたわけではありません。
ならばなぜ聖学院は幸せにもなれないようなものを120年も若者たちに伝えてきたのでしょうか。
今日のステファノの物語で石を投げている人々が上着を脱いで、1人の若者の足元に置いたというくだりがあります。
サウロというものです。
このサウロはステファノの殺害に賛成をしていたものです。
そして皆さんもご存知のようにこのサウロは後のパウロです。
新約聖書のおよそ半分の文章を記したパウロ、
キリスト教の土台を作った人物です。
聖学院はなぜ自分の賜物を大切にしなさいと言っているのか、
ステファノとサウロ
正反対の立場です。
何の接点も生まれていない二人です。
ですが、そのサウロはステファノの意思をやがて引き継ぎます。
なぜ賜物を大切にしろと聖学院は言うのか
伝わっていくからです。
歴史を作っていくからです。
本当に人類が継承していくもの
それは富の多さ、少なさではありません。
地位の高さ低さでもありません。
本当の自分
賜物
それが誰かの賜物を引き出します。
誰かを本物の自分にします。
本物が歴史の中で受け継がれて行きます。
人類が継承できるもの
歴史の中にその存在を刻むもの
それは賜物だけです。
賜物を知る聖人が歴史を紡いでいきます。
聖学院は歴史を引き受ける、
その思いがあり、120年、聖人になる、Only One、自らの賜物を見つける、それを伝え続けています。
歴史を担う1人として、今日1日もまた自らの賜物を探して下さい。