凸凹のある者たちの物語(9月19日全校礼拝にて)
使徒言行録7章8~16節
始業式でお話をしました。
Only Oneは凸凹であると。
その続きを話します。
今日読んだ聖書はステファノと言う人が捕まったときに語った言葉です。
ステファノはイエス・キリストの名前によっていろいろな奇跡や不思議な技をしました。
イエス・キリストを十字架にかけたときの権力者はまたイエスの言葉が出てきたとこれを押さえにかかります。
ステファノは捕まり裁判にかけられます。
その時に自分はどうしてこのようなことをしているのか、その説明をしている言葉が今日の聖書の箇所です。
ステファノは旧約聖書にあるヨセフの物語を語ります。
ヨセフは夢を解くものでした。
それが彼のOnly One、賜物です。
この賜物によってヨセフは家族から追い出されます。
自分の見た夢が家族の中で1番上に立つと言うものだったからです。
後になってその夢は本当になるのですが、それを聞いたときの家族はそんな事は理解できません。
怒った家族はヨセフをエジプトに売り飛ばします。
ヨセフはエジプトでも夢を解きます。
牢屋で一緒になった囚人の夢も解きました。
「あなたが見た夢は、こういう意味ですよ」と解いたのです。
ヨセフの言った通りその夢は現実になります。
その中の1人は囚人からファラオに仕えるものになりました。
ある日のこと王様が夢を見ます。
「この夢にはどんな意味があるのか」
王様が家臣たちに尋ねます。
誰も答えられません。
ヨセフに夢を解いてもらった経験がある家来が王様に伝えます。
「私の夢を解いたものがいます。そのものに聞いてみてはいかがでしょうか?」
ファラオはヨセフを牢屋から呼び寄せます。
自分の見た夢を伝えます。
ヨセフはその夢を聞いて、
これからエジプトに起こること、
そして王様が何をしなければならないのか、それを伝えます。
ヨセフの行った事は全て本当になりました。
ファラオは大いに喜び、ヨセフを王様の次の位につけます。
この話は神話です。
ただそれは空想の話ということなのでしょうか。
ヨセフは自分の賜物をただひたすら続けました。
家族にも嫌われました。
牢屋でも続けました。
長いこと理解もされませんでした。
それでも最後に王様に認められました。
ヨセフがした事は何でしょうか?
ヨセフはずっと同じことをしていたのです。
自分の凸凹、分かっていました。
分かっていながらヨセフはそれを何も変えませんでした。
私たちは凸凹があると、なめらかなものにしようとします。
出っ張っているところは削り落とし、凹んでいるところは何かで埋めようとします。
バランスの取れたまんまるな自分になろうとします。
ところが聖書は凸凹のある者たちの物語を語ります。
ヨセフも凸凹のままです。
これを話しているステファノも凸凹です。
時の権力者に変な奴だおかしな奴だと思われています。
権力者に睨まれれば、自分の凸凹修正して、まん丸にしようとします。
でもステファノはそんなことはしませんでした。
凸凹のまま行きました。
この物語は神話だと言いました。
ただこれは空想の物語なのでしょうか。
この後ステファノは命を落とします。
凸凹、Only Oneを貫いたからです。
その後、教会はローマへと伝わっていきます。
ラテン文化に触れて世界へと発信をされて行きます。
2000年の後、教会は世界中に広がっています。
私たちの聖学院もその流れの中から生まれたひとつです。
私たちが今ここにいる。
それはリアルなことです。
ならばこの物語は神話ですか?
絵空事ですか?
この物語は私たちの今を語り、これからを語る物語です。
凸凹の私
凸凹の友達、
それが世界を作っていくのです。
自分の凸凹を大事にする。
友達の凸凹を愛する
凸凹がつながっていって世界ができていく。
2000年の教会の歴史がそれを示しています。
私の凸凹
友達の凸凹
Only One
今日も大切にしてください。