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すべてを愛する神(3月4日全校礼拝にて)

新約聖書マタイによる福音書 27章45~46節
さて、昼の十二時に、全地は暗くなり、それが三時まで続いた。三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。

 

今年度、最後の朝の礼拝です。
中学一年生も一年間、礼拝を守って来ましたから
礼拝とはこういうものだ、
キリスト教とはこういうものだ、
そういう見当がついて来たのではないかと思います。

キリスト教について短くても一年の経験があるこの時期ですから
今日はあえて、こういう話をしましょう。

キリスト教とはなんなのか。
聖学院を生み出したキリスト教とは何か。

今日、聖書を読みました。
イエス様が十字架上で
エリ、エリ、レマ、サバクタニ
わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか。
という場面です。

この場面がキリスト教です。

説明を続けましょう。
イエス様とはどういう方か。
聖書には神様がイエス様について語る場面があります。
「これは私の愛する子。私の心に適うもの」
イエス様は神様に愛されているもの
神様に大切にされているものです。

今日の聖書の場面。
イエス様は言います。
「なぜ、私をお見捨てになったのですか」

何が起こっているのでしょうか。

神様はイエス様のことが大切です。
そのイエス様が何も悪いことをしていないのに
律法学者、ファリサイ派、祭司、民衆たちによって十字架に追いやられている。
なぜ追いやられているのか。
なぜイエス様は十字架にかからなければならなかったのか。
神が来てくれないからです。
助けに来てくれない神。
それが聖書の示している神です。

これはイエス様だけのことではないでしょう。
私たちの経験でもあります。
神がいるのならどうして悪があるのか。
自然災害に私たちが遭っている時も、神は来てくれない。
武器も持っていない子どもたちの命が奪われ続ける戦争が起こっていても
神は来てくれない。

嘘をつくもの
人を欺くもの
そういうものが栄えているのに神は来てくれない。

来てくれない神
ひとつの合理的な答えは「神はいない」です。
これも正しいと言わざるをえない論理性はあるでしょう。
ただ、私たちはどうですか。
人を欺くものが栄えても、どこかに「正義」はあると思っていませんか。
人類が何度も戦闘を繰り返そうと、どこかに「平和」があると思っていませんか。
いまだ実現されていなくとも思っているもの、信じているものがある。


もし、神がいるとしたら、どうして神は何もしないのか。

ひとつのヒントは創世記の天地創造物語にあります。
神が世界を造る物語
ここで神は言葉で世界を造ります。
神の言葉がそのまま世界になります。
そして出来上がった世界について聖書はこう言い表します。

「それはきわめて良かった」

この世界はどういう世界か。
神の思いに適った良いもの
それが、この世界です。

神にとってのイエス・キリスト
これは心に適った愛する者です。
ならばイエスを死に追いやった人々は神にとってはどういうものなのか。
それもまた神の愛する子どもたちなのでしょう。

なぜ神は何もしないのか。
すべてを愛しているから。
何かに味方し、何かを裁く
それは味方を大事にすることにはなりますが、すべてを愛するにはなりません。

キリスト教とはそういう宗教です。
私にとっての敵、不愉快な相手
それも神は愛していると思い出させるものです。

敵を愛する。
神にとってみればすべてが大切なものですから、敵をも愛せと私たちにすすめるでしょう。
しかし、私たちには、そんなことはできません。
敵は敵です。
味方は味方。
味方は大切にしますが、敵に配慮をする必要などない。
私たちはそう考えます。

敵、味方
正義、悪
優れている、劣っている
別々のもの、まったく違うものです。
ですが、この区別はどうして生まれたのですか。
区別を生み出している境界線はどうして引かれたのですか。
人でしょう
誰かでしょう。
どこかの誰か、人の作った境界線
これに依存して正義、悪を選別する。
それはNumber Oneでしょう。
自分以外のものに自分を預ける。
依存、執着
人の作った答え
これに依存していれば、私たち人類が繰り返してきた戦争を再生産することしかできません。
敵を愛する
できない。
できないでいいんです。
ただし、「できない」は答えではありません。
「できない」は「問い」の入口です。
「できない」と直面した私たち
悪があるのに、来てくれない神様
どうして来ないのか。
ここにも入口があります。
なんの入口か。
思考の入口です。

思考する
考える
問い続ける
求め続ける。
言葉を止めない。

キリスト教は「答え」を提示する宗教ではありません。
答えに乗っかれば良い
答えに支配されることへと導く。
それがキリスト教ではありません。

考え続けるものを育てる。
本当の自分はなんだろう。
Only One
それは言葉を止めないもののことです。

言葉の止まった「答え」にすがりついていればこの世界は同じことの繰り返しです。
言葉を動かし続ける。
問い続ける。
なぜ神は何もしない
敵を愛するはどうしたらできるか。
本当の自分とは何か。
言葉を止めない。
言葉を動かし続けられるもの。
そういう者が新しい世界を築いていく。
人が信じている「正義」「平和」を生み出していく。
新しい世界を作り出す人を育てるためにキリスト教は聖学院を作ったのです。
私たちはそういう学校にいることを覚えて今年度、最後の授業に取り組んでください。