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Only Oneを引き受けるとは孤独を引き受けること(11月30日全校礼拝にて)

ルカによる福音書1章26~38節 イエスの誕生が予告される

 

今日の聖書はイエスの母マリアの物語です。
イエスの母マリアは天使ガブリエルからお告げを受けます。
「あなたは男の子を産む」と。
ただ、マリアは結婚をしていません。
ですから「男の人を知らないのにそんなことが起こるはずがない」と答えます。
これに対し天使は「神にできないことはない」と告げ
マリアは「お言葉通りになりますように」と引き受けます。
その結果、イエスはおとめマリアから誕生した、となります。
これを「奇跡」と呼ばれているものですが、
この物語は「奇跡だ」「すごいね」だけがここに込められているものではありません。
この物語は私たちに何を語っているのか。

結論に行くために入口を設定します。
マリアの凄さ。
それは何か。
それを考えるのがこの物語を解釈するコツです。

マリアの凄さ
男性との関係なしに出産した。
それも凄さと数えることはできるでしょう。
ですが、今日は少し違うところに視点をおいてみたいと思います。
男の人を知らない。
それは生殖行為なしに子どもを作るということです。

私たちは皆、両親の働きによって生まれました。
必ず男と女が私たちの原因になっています。
私たちもそうですし、マリアの時代もそうです。
いつでもそうです。
ところがマリアは男性なしに子どもを産むというのです。
他にこのような人はいません。
マリアはOnly Oneです。

ただ、このOnly Oneはとても孤独です。
結婚をしていないのに妊娠し、出産をする。
誰も理解をしないでしょう。
理解がなければ応援もありません。
応援がないどころか非難、否定ばかりを浴びせられていたでしょう。
「何をしている」「何を考えている」「そんなことをしてどうなる」
「ここで生きていけると思っているのか」
Only Oneを引き受けるとは孤独を引き受けることです。

マリアも冷静に考えれば、なんでこんなことをしているんだろう、と自問自答をしたことでしょう。
こんなことは止めてしまおうとも思ったでしょう。
ですが、ここがマリアの凄さです。
誰の理解もない。
誰にも分かってもらえない。
ただ、自分は分かっている。
誰にも理解をされないが、これをできるのは自分だけ。
私がやらなければ世界が始まらない。

マリアの決断があったからこそイエス・キリストはこの世界に誕生することができたのです。
キリスト教、教会の歴史が始まったのです。
その歴史の中に私たちの聖学院もあります。
マリアの決断で世界が始まりました。

Only One for Others
Only Oneを見つけてものが世界に向き合っていった。
for Othersへと進んで行った。

聖学院は誰からも喜んでもらえる長所のことをOnly Oneと言っているのではありません。
自分にしか分からないもの。
自分だけしかできないこと。
自分がやらなければ始まらないもの。
それをOnly Oneと言ってきました。

自分のOnly Oneを見つける。
必ずあります。
あるからこの世界に生まれてきたのです。

私がしなければ始まらないもの。
そのOnly Oneを探す一日として下さい。