【創立記念礼拝メッセージ】自分を覆う蓋はいつでも動かせるように(11月3日)
新約聖書マタイによる福音書26章31~35節
そのとき、イエスは弟子たちに言われた。「今夜、あなたがたは皆私につまずく。
『わたしは羊飼いを打つ。すると、羊の群れは散ってしまう』
と書いてあるからだ。しかし、わたしは復活した後、あなたがたより先にガリラヤへ行く。」するとペトロが、「たとえ、みんながあなたにつまずいても、わたしは決してつまずきません」と言った。イエスは言われた。「はっきり言っておく。あなたは今夜、鶏が泣く前に、三度わたしのことを知らないと言うだろう。」ペトロは、「たとえ、御一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません」と言った。弟子たちも皆、同じように言った。
聖学院とは聖なる学園にあらず。
聖学の院である。
聖学とは聖人を学ぶのみならず聖人となることである。
されば本校の理想は聖人を養成することである。
聖学院がはじめられた時の言葉です。
117年間、聖人を作り出すためにこの学校は営まれていきました。
聖人になるために聖人について学ぶ。
今読んだ聖書に登場してくる人物はペトロです。
この者はイエス様の弟子です。
イエス様がいなくなった後に教会を作り上げた者の一人です。
この者はローマで殉教をしたと伝えられています。
ペトロの墓はローマにあります。
コンスタンティヌス1世はペトロが亡くなってからおよそ300年後にその墓の上に教会を建てるように命じます。
サンピエトロ大聖堂
ローマ・カトリック教会の総本山です。
それはペトロの墓です。
ペトロはまぎれもなく聖人の一人です。
そのペトロとはどんな人物だったのか。
今日の聖書のやり取りです。
イエス様が十字架にかかる前日、ペトロはじめ弟子たちに告げます。
私が捕えられたら、お前たちは散り散りに逃げる、と。
これにペトロは猛反発をします。
そんなことは決してない。
たとえ死ぬことになっても、自分はイエス様について行きます、と言い放ちます。
そのペトロにイエス様は言います。
お前は今日、鶏が鳴く前に三度、私のことを知らないと言うであろう。
これについてもペトロは否定をしますが、
実際、イエス様が、捕えられると逃げ出しました。
そして、町の町の人々から、「お前はイエスと一緒にいた者だ」と指摘されると、それを打ち消し、自分はイエスなどという男は知らないと返答をします。
ペトロは行く先々でイエスとの関係性を指摘され、その度に否定をし、結局、朝になる前に三度、イエスとの関係を否定しました。
イエス様の言った通りになったのです。
ペトロとはどんな人物か。
ペトロには確かな自己理解がありました。
私はこういうもの、という自分を確認する言葉がありました。
イエス様の弟子である。
自分はイエス様が大好きだ。
どんなことがあってもイエス様のそばを離れることはない。
自己理解がありました。
そして現実に起こったこと。
イエス様を見捨てて逃げる。
イエスなど知らないと言って悪口を言う。
ペトロはどんな人物か。
ペトロは何を経験し、何を知ったのか。
私は自分のことを何も知らない。
聖学院はOnly Oneを探せと勧めています。
本当の自分とは何か。
ペトロのOnly One
それはイエス様が大好きで、イエス様と離れることはない
それが自分自身でした。
ところがそれは自分でもなんでもなかった。
私たちはOnly Oneを探します。
これがOnly Oneだと見つけるものがあるでしょう。
ただ、ここで聖人に学んでください。
私たちは何も知らない。
そこで見つけたものは私でもなんでもないものかもしれない。
自分とは何か。
過去の業績
成功も失敗も含めて、そういうものが自分を形作り、それが自分だと思っています。
未来への夢、予定
そこに自分があると思っています。
大学、仕事、冨、名声
それらが自分を形作ると思っています。
過去の業績、未来の予定
それらはどこにありますか。
今でない、いつか
ここでない、どこか
今、ここにないものを私たちは私だと思っている。
それが本当に私ですか。
過去の業績も、未来の予定も私を知るガイドにはなるでしょう。
ただ、それはあくまでガイドです。
そのガイドに執着、固執をするとそれがいつしか本当の自分を覆う蓋になります。
業績、予定
あっていいんです。
過去に何があったか、忘れなくていいんです。
勉強もしっかりして点数も富も稼いでいいんです。
ただ、それはガイドにしかすぎません。
自分を覆っている蓋です。
蓋の先に本当の自分がいるのです。
だから、その蓋はいつでも動かせるようにしていなければなりません。
開けられるように軽くしておかなければなりません。
私は何も知らない。
蓋が答えではありません。
蓋の先があります。
本当の私を知る。
蓋は私ではない。
私は何も知らない。
その心がけが「蓋」と「私」の区別をすることができます。
聖人となったペトロ
ペトロの経験、私は何も知らない。
聖人となるための道筋を117回目の創立記念日に整えたいと思います。