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想定をはずしていく(9月11日全校礼拝にて)

新約聖書マタイによる福音書 24章45~51節
「主人がその家の使用人たちの上に立てて、時間どおり彼らに食事を与えさせることにした忠実で賢い僕は、いったいだれであろうか。主人が帰って来たとき、言われたとおりにしているのを見られる僕は幸いである。はっきり言っておくが、主人は彼に全財産を管理させるにちがいない。しかし、それが悪い僕で、主人は遅いと思い、仲間を殴り始め、酒飲みどもと一緒に食べたり飲んだりしているとする。もしそうなら、その僕の主人は予想しない日、思いがけない時に帰って来て、彼を厳しく罰し、偽善者たちと同じ目に遭わせる。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。」

 

イエス様のたとえ話です。
ご主人に仕える二人の僕。
主人が出かける時に二人それぞれに家のことを任せて旅に出る。
主人が帰ってきた時、家をちゃんと守っていた僕は当然、褒められる。
主人の帰りはまだ先だろうとたかをくくっていた僕が好き放題をしていた。
思いもよらない時に主人が返ってきて、その様を見られ追い出されてしまう、
という話し。
難しくはない簡単なお話し。
この簡単なお話しは「人はこういうものだ」が語られています。
人はどういうものか。
人はズレている。
この物語が語っていることです。

なぜ人はズレてしまうのか。
失敗をした僕はどうしてズレたのか。
主人の帰りが遅いと思い込んだ。
僕が主人から受け取った情報。
家を留守にする。
家のことは任せた。
私は帰って来る。
褒められた僕も追い出された僕もおそらく情報は同じものを受け取っていた、と読むことはテキストに相応しいと思われます。
なぜダメな僕は主人が帰ってきたとに好き放題していたのか。
想定をしたからです。

主人はまだ帰ってこない。
主人が帰って来るのはこのあたり。

なぜ人はズレてしまうのか。
想定をするからです。

あの人はこんな人
あの国はこんな国
私はこんな私

きちんとしていた僕
この者にも想定はあったでしょう。
でも彼はその想定に固執をしませんでした。
自分の想定は間違っているかもしれない。
想定外のことが起こるのは当たり前。
そう思った時に彼が取った行動は、主人が今のいるつもりで生活をする。
主人がいてもいなくても同じ生活をする。
いつでも主人と向き合っているつもりで生活をする。

この主人は神様を連想させるものでしょう。
いつでも神様と向き合っている。
それを忘れない。
ただ、注意をしなければならないことがあります。
「神様」
私たちはこの言葉から何を想像しますか。
おひげを生やして白い衣を着て雲に乗っているお爺さんですか。
始めはそれでもいいです。
ですが、これは私が想定した「神」にしかすぎません。
想定を外してください。
もっと大きな神様を想像してみてください。
もっと大きい神様が想像できたら、更にもっと大きな神様を想像してください。
神様、男ですか、女ですか
神様、人の形をしていますか
もっと大きいもの
その大きいものが
「あなたにはあなたの賜物がある」
と言っている。


Only One
それは「私の個性はこういうものです」
を確認しましょう、という話ではありません。
もっと大きいもの
もっと広いもの
それを毎日、毎日、見つけ出していきましょう。
それがOnly Oneです。

今日は9月11日
2001年にアメリカでテロのあった日です。
二棟あった貿易センタービルに旅客機が突っ込んで崩壊した日
そこからアフガニスタン、イラクにアメリカは軍事介入を始めます。
テロ、戦争とは何ですか。
どうして起こるのですか。

想定するからでしょう。
あの国はこういう国。
言葉で言っても伝わらない。
こちらの考えなど分かろうともしない。
そう想定するからテロ、軍事行動に踏み切れるのでしょう。

想定をする。
戦争の方向へと進んでいくことです。
想定を外していく。
平和を生み出す歩みへとつながっています。

私の想定を外していく。
それをしてくれるのが学問です。
みなさんが今日、行う勉学
それは私の想定を外していくこと
平和へと進むことです。

今日も一日勉学に励んでください。