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【終業式メッセージ】滅びないもの、それをどうやったら見つけられるのか

マタイによる福音書24章32~36節
「いちじくの木から教えを学びなさい。枝が柔らかくなり、葉が伸びると、夏の近づいたことが分かる。それと同じように、あなたがたは、これらすべてのことを見たなら、人の子が戸口に近づいていると悟りなさい。はっきり言っておく。これらのことがみな起こるまでは、この時代は決して滅びない。天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。」

 

世界が終わる。
イエス様が語った言葉です。
すべては消えてなくなる。
ただ、私の言葉だけは残る。

これを地球、宇宙の終わりの時と限定して読む必要はないでしょう。
私たちも経験している「終わり」
これについて語っていると考えて良いでしょう。
私たちが経験する終わり。
たとえば友達だと思っていた人に裏切られた。
必ず成功すると信じて準備してきたものが、まったく役に立たないと分かった。
想像と違う。
予定と違う。
自分の脳の容量を超えた時、
私たちはそれを「終わり」と感じているのではないでしょうか。

イエス様は、すべてものは終わると言います。
友情、信頼関係、予定、計画
秩序や正義、常識、これらもすべて終わるのでしょう。
ただ、終わらないもの、残るものもある。
それが「私の言葉」だと。

「私の言葉」とは何か。

聖学院が大切にしているOnly Oneがそれです。

Only OneはNumber Oneとは違うと言ってきました。
Number One
自分以外のものを通して自分を把握する考え方です。
自分以外のものがないと自分が分からない。
自分以外のものに依存し、支配される。
自分以外のものに引っ張られる考え方。
Number Oneです。

このNumber Oneの考え方で「終わり」を迎えたらどうなりますか。
まわり、世の中が終わって行く。
それに引っ張られているわけですから自分も一緒に終わっていきます。

終わりについてもう少し具体的なことをあげましょう。
たとえば「性別」
私たちの文化圏では「男」「女」とふたつの性別が常識とされてきました。
ただ、みなさんも良く承知しているようにこの二つの性では対応しきれない状態になっています。
もっともネイティブアメリカンなどのように性を五つと考えているところもあります。
性を二つに絞ったのは私たちが勝手にロックをかけただけなのでしょう。
そのロックが外れそうになっている。
外さなければいけなくなった。

常識が変わっていきます。
Number Oneでしか思考していないものは、この現実にうまく対応できません。
これまでの考え、常識に引っ張られてでしか思考できませんから、おかしなトイレを作って誰からも喜ばれないものにお金を使ったりしています。

Chat GPTに代表される生成系AIも私たちの常識を覆そうとするひとつでしょう。
私たちが「知能」と呼んできたものは実は電気信号で再現されるようなものにすぎなかったのか。
「知能」「思考」とは何か。
人とは何か。
今までこれは人にしかできないと思っていたものが、実はそんなに複雑でも崇高なものでもなかった、と明らかにされていく。
誰でもできる。
機械でもできる。
そうなった時に、みなさんがこれから就こうと思っている職業、それは大人になった時にまだあるんですか。
もしかしたらいずれなくなってしまうかもしれない職業のために、今日、一生懸命に勉強をしている、無駄なことをしているだけかもしれません。

世界が変わっていく。
今まであったものがなくなっていく。
Number Oneの思考方法なら引っ張られて一緒になくなっていく。
そうならないためにOnly Oneを探しなさいと聖学院は勧めています。

ただOnly Oneを「これこれこういうものが私のOnly Oneだ」と考えると
Only Oneに近づいたつもりで遠ざかってしまいます。
Only Oneとは定文、定式化できないからです。

どういうことか。
「Only One とはNumber Oneにならないこと」
としてみましょう。

これを展開していきます。
Number Oneは自分以外のものに「すがること」ですから、
これを執着、固執、握りしめる、としてみましょう。
そうすると「執着、固執、握りしめ」を止めれば、Number OneからOnly One に行けるはずです。
では実際には、どうするのか。

「執着、固執、握りしめ」を止めればいい、
「はい、私、止めました」
その時、何が起こっていますか。
「『執着、固執、握りしめ』を止める」に執着、固執、握りしめている、ということになっているでしょう。
「執着、固執、握りしめ」を止めようと思えば思うほど、執着、固執、握りしめをいっそう増強させているということです。

Number Oneを止めてOnly One に行こうとしても相変わらずNumber Oneの中にいるということです。

もし「これが私のOnly One 」というものを見つけたとしても、それを握りしめればNumber Oneの時とやっていることは同じです。

そういうものは全部滅びる、全部通用しなくなる。
それがイエス様の言ったことです。

では滅びないもの、Only One 、それをどうやったら見つけられるのか。

それをこの先、考えてもらいたくて、この聖書を読んだのです。
Only One とは「これこれこういうものです」と確認をできるのではない。
ならばOnly One とはどういうものなのか。

どこかにあるものでも、人から教えられるものでもありません。
そこで見つけるものは全部Number Oneです。

どうすればOnly One と出会うことができるのか。
夏休みの間に考えてください。

それは簡単に答えの出るものではないでしょう。
「答え」と呼べるものがあるのかさえ分からないものです。
それでも立ち向かっていく。
その姿勢が私たちをOnly One に近づけていきます。
Only Oneへの道筋
聖学院で会得してほしいものです。

良い夏休みを過ごしてください。