SEIG NEWS

終わりと始まり(4月14日全校礼拝にて)

マタイによる福音書28章1~7節 復活する
さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方に、マグダラのマリアともう一人のマリアが、墓を見に行った。すると、大きな地震が起こった。主の天使が天から降って近寄り、石をわきへ転がし、その上に座ったのである。その姿は稲妻のように輝き、衣は雪のように白かった。番兵たちは、恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになった。天使は婦人たちに言った。「恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、あの方は、ここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。さあ、遺体の置いてあった場所を見なさい。それから、急いで行って弟子たちにこう告げなさい。『あの方は死者の中から復活された。そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる』確かに、あなたがたに伝えました。」


イエス・キリストの復活とは私たちに何を告げているのか。
十字架で亡くなったイエスの亡骸を納めた墓穴。
十字架から三日目に二人のマリアがその墓を訪ねる。
大きな地震のような物音がし、墓を塞いでいた石が転がされる。
石の上には天使が座っている。
その天使がマリアたちに話しかける。

「イエスを探しているのだろうが、ここにはいない。
復活した。
弟子たちの所に行って、ガリラヤに行くように告げなさい。
そこでお目にかかれる」

イエスが十字架にかかり墓に葬られたところ
今、弟子たちがいるところ、エルサレム。
そこから北へ約100キロ
ガリラヤがある。

イエスと弟子たちはガリラヤの者。
活動を始めた場所。
故郷ガリラヤ。

エルサレムはすべてが終わったところ。
計画も、夢も、希望も、命すら終わったところ。
終わりの場所、エルサレム。
天使はエルサレムを出てガリラヤへ行け、と言う。
終わりの場所から始まりに行け、と言う。

復活の物語は私たちに何を告げているのか。
終わったと思っているところから始まりに行け。
終わりから始まりへ。
終わりに留まっているな。
何も終わっていない。
始めろ。

誰しもが、そして自分自身でも「終わり」と思っているところで、どのようにすれば「始まりだ」と考えることができるのか。
「終わりではない始まりだ」
この言葉は天使から与えられた言葉。
友人からでも、家族からでもない。
自分で作り出したのでもない。
人から聞いた言葉ではない。
天使から
神から

Only One
私には私の賜物がある。
使命がある。

何が本当の自分なのか。
人から伝えられものではない。
自分自身で確かめる。
自分だけで見つけ出す。
人からの言葉を剥ぎ落とし、
本当の私、神が与えてくれた賜物を見出す。
「終わり」は人が言っていること。
「始まり」神が告げていること。

神が告げている私だけに聞こえる言葉を掘りあてる。
自分を掘り返していく。
そのために勉強をする。
体を動かす。
手を使う。
人と話す。
学校生活を行う。

終わりはない。
いつも始まり。

それを知るために今日も学校生活をはじめていきましょう。