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【中学入学式メッセージ】ようこそ、聖学院へ

創世記1章1~3節

神が世界を造った。
そこに神が光あれと言われた。
すると光が生まれた。
神様はそれを見て良しと言われた。

聖学院はこの物語を信じている学校です。
この物語が、宇宙の誕生、地球の始まりの言葉と思っている、というのとは少し違います。
世界の根本にあるのは、こういうことでしょう。
私の根っこにあるのは、こういうことでしょう。
そういう言葉として、私たちはこの聖書の物語を信じています。

この物語で何が語られているのか。
この世界の根本には「光」がある。
光とは何でしょうか。
太陽、月、火、
私たちが想像する光。
これらは、聖書をもう少し読んでいくともっと後になって造られたことになっています。
ですからここで語られた「光」は私たちが真っ先に浮かぶ光とは違います。
ならば光とは何でしょうか。

ある人たちはこう考えました。
光とは秩序であると。
また、別に人たちは真理、正義が光だと考えました。
夢、希望、それが光だと考えたものもいます。
どれもが間違いではないでしょう。
そしてこれらに共通しているもの。
光と聞いて、私たちが期待する、その性質。
それは「はっきりする」ということだと思います。

聖書の世界観
それは、世界は「はっきりする所だ」です。

聖学院は聖人を生み出す学校として創立されました。
聖人を生み出す学問
それが聖学です。

ただ、聖学なんて科目は見たことがありません。
それは聖学院においても同じです。
聖学は科目ではありません。
この学校にいる間に、いつも考えること。
学校生活が聖学です。

その聖学とは何をするのか。
光がある。
その光は良いものだと言われている。
はっきりする。
はっきりさせるそれが聖学です。

何をはっきりさせれば良いのでしょうか。
自分です。

聖学によって生み出される聖人。
これを今、私たちはOnly Oneと言っています。
唯一のもの。
本当の私、と翻訳しています。
それを見つけ出すのが聖学です。

私は私を知っていますか。
私を見つけ出していますか。

実は私たちは自分がぼんやりとしか見えていないのではないでしょうか。
あるいは、これが私だ、と思っても、誰かの影響を受けていたり、流行に乗っかっているだけだったり、自分以外のものが貼り付いて、それを自分だと勘違いしていることがほとんどなのではないでしょうか。
始めは気が付かなかったが、良く考えたら、自分じゃないものを自分だと思い込んでいた。
それに気が付いたら、貼り付いたものを剥がしていく。
剥がして、今度こそ、これが私なのではないかと確認をしていく。
でも、多分、それもまだ何かが貼り付いています。
剥がして、剥がして、本当の自分に辿り着く。
はっきりさせる。

聖学院ですること。
それは自分をはっきりさせることです。
自分がはっきりしないと、自分以外のものに振り回されます。
振り回されてどんどん自分が曇っていきます。
見えなくなります。

自分をはっきりと知る。
そうすれば世界をはっきりと知ることができます。
世界で起こっていること。
つらいこと、悲しいことあります。
でも、それは世界が曇って来た時に起っていることです。
つらくても、悲しくても、それが世界の本当じゃない。
世界の本当ははっきりすること。
この世界の根本は光だ。
あかるいもの、はっきりとしたもの。
そこに行かなければ本当の世界を見たことにならない。

本当の世界。
本当の私。
Only One
聖人。

はっきりとしたものを探しに行く。
みなさんが、今日から始めることです。

ようこそ聖学院へ。