【シリーズ:聖書の思考回路】第22回
なぜヨハネ福音書は I am を強調するのか。
ヨハネの世界観があるからです。
依存しない。
支配されない。
それで世界は成り立つ。
「私」という個人も同じです。
I am の次に来る述語を私たちは頼りにしようとします。
そこへ立派なものを代入できるように努力します。
述語に依存します。
いつの間にか述語に支配されてしまいます。
不自由です。
世界は、人は不自由なのか。
私は不自由、奴隷のままの一生なのか。
違う。
ヨハネの答えです。
人は本来、自由だ。
依存も、支配もなく自分でいられる。
I am だけで成り立っている。
私は私
創世記の物語では神様の言葉がそのまま現実の世界になっていきました。
神の思いが鏡に映し出されたかのようにして現れていった。
対称性です。
I am that I am
私は私
私は鏡に写したかのようなもの
対称性
犬に向かって「お前は可愛い」
これも対称性です。
定言命題とは対称性の構造です。
仮言命題は非対称性です。
番犬の務めをしたら可愛い。
番犬の務めをするまでは可愛くないのです。
すなはち、今の犬は可愛いではない。
犬と可愛いは非対称性の関係です。
仮言命題は非対称性の構造です。
ヨハネ福音書は何を語ろうとしているのか。
世界は変わっていない
同じ
対称性を語る物語です。
私たちは世界は変わってきているし、変わっていくと思っています。
変わって、どんどん悪くなるのではないか、不安、心配になります。
人も同じです。
変化し、死を迎えると思い希望を失います。
その現実を知りながらヨハネは世界は変わっていない。
その根本、構造は何が起ころうと変わらないと語っています。
変わらないものが世界にはある。
変わらないものが私にはある。
それがOnly One です。
その変わらないもの。
それを見つけ出すことは世界の根本
真理を見つけ出すことに他なりません。
Only Oneを探す。
それは真理を探すことでもあるのです。