【シリーズ:聖書の思考回路】第11回
私たちの現実世界
私には足りないものがある。
それを補おう。
創世記3章から何かに執着、固執をする仮言命題の世界が始まりました。
続いての4章、ここでは兄が弟を殺すという事件が勃発します。
アダムとエバの息子たち、カインとアベル。
この二人が神様に捧げものを持っていきます。
二人の捧げものをご覧になった神様はアベルのものは受け入れ、カインのものは目も留めませんでした。
神様から無視をされたカインは怒ります。
そして弟アベルを野原に呼び出して殺してしまうのです。
この物語も「定言」「仮言」で考えることができます。
カインは神様から無視をされて怒ります。
怒り出すカインの心とはどういうものなのでしょうか。
少し別の方向から考えてみましょう。
カインはどうなれば怒らないで済んだのでしょうか。
おそらく神様に受け入れてもらえれば喜んだことでしょう。
と、言うことはカインの心はどういう心か。
神様の「お褒め」を頼りにしている。
神様に依存をしているということでしょう。
無視をされたカインが怒り出す。
それは自分の心を満たしてくれるはずの神様からの「お褒め」
それが獲得できなかったからでしょう。
何かに依存をしなければ自分が自分でいられない。
それは仮言命題の思考回路ということです。
幸せになるためには神様のお褒めが必要である。
「お褒め」という経由地点を通過しなければ目的地に行けない。
「お褒め」が欠落した途端に目的地も喪失してしまう。
依存が根底にある仮言型です。
さて、そのカインなのですが、これを読んだほとんどのものがカインに同情をするでしょう。
あるいは聖書には書いていないカインの過ちを作り出し神様の無視を正当化しようと試みます。
ですが、それらはこの物語が期待している読み方ではないでしょう。
この物語に登場している神様は不条理な神です。
理由もなく人を分け隔てる。
その神の行為にこそ読者は意識をする必要があるのです。
なぜそのように読む必要があるのか。
この世界が不条理だからです。
聖書は予定調和を語る夢物語ではありません。
戦争、敗北を経験したリアルな世界を生き抜いてきた言葉です。
この世界は不条理である。
すなはち神は不条理である。
その不条理の前で人はカインのように振舞います。
カインは私たちの代表です。
不条理に心奪わたものは世界が見えなくなります。
心が埋没してしまう。
私を支えてくれるものを持っているものが許せない。
そのものを殺せば私を支えるものが獲得できる。
私は自分を支えるためにそのものを殺す。
仮言命題
依存、執着、固執
何かに支配された心が辿り着くところです。
定言の世界が崩れ仮言の世界が始まった。
それが聖書の世界観です。
そしてここからが私たちの歴史の始まりです。
不条理の前で人はどうすればいいのか。
カインはどうすればよかったのか。
アダムとエバは蛇の誘惑をどのように受け止めれば良かったのか。
number oneの世界観は人に依存する世界観です。
支配された世界観。
奴隷の世界観です。
Only One
人に依存しない私
何にも支配されない私
聖書の物語はどうすればOnly Oneを見つけられるのか。
ここから本当の物語が始まります。