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【シリーズ:聖書の思考回路】第8回

創世記の1章には繰り返し登場する三つの言葉がある。
それが創世記の考える世界観と結びついている。
「神は言う」
「そのようになった」
「良しとされた」

この三つが定言命題であるとはどういうことなのか。
今回はここからお話しを始めます。

 

この三つの言葉に少しだけ解釈を施してみたいと思います。

「神が言う」「そのようになった」
この二つの言葉から読者は何を受取るでしょうか。
神様が言ったことがそのまんまなったんだ、ということでしょう。

神様が言葉を発します。
その言葉はご自分のうちにある思いでしょう。
その思いを言葉にする。
するとそれがそのまま神様の目の前に現れる。
神様の思いと目の前のものは等しい。
「神は言われた」「そのようになった」
この表現から、そのように解釈をすることは可能でしょう。

神様の「目の前のもの」を「世界」と言い直してみます。
神様と世界はどういう関係か。
神様の思いと世界は等しいと言えます。

それはそのまま三つ目の言葉「良しとされた」にも当てはまります。
神様が自分の造った世界をご覧になる。
そこには修正をしたり、消去をしたりしたくなるものは何もない。
このままでいい。これでいい。私の思いそのままだ。
それが「良しとされた」の意味合いでしょう。

であるならば、この「神は言われた」「そのようになった」「良しとされた」は神様と世界が等しい、ずれていない、ということを表しているものと考えることができます。

神様と世界が等しい。
単純化すればこうなります。

神様 = 世界

実はこの形は定言命題です。
犬の話を思い出してください。
定言命題では犬に対して「お前はかわいい」でした。
これも単純化します。

犬 = かわいい

等式が成り立つ。
定言命題の特徴です。

 

創世記の1章には聖書の考える世界観があります。
それは定言命題の世界観です。
何にも支配されない。
不足しているものを補おうと執着していない。
囚われていない。
自由がある。
その世界です。

Only One
何にも頼らない、支配されない私。
創世記の1章はOnly Oneの構造と重なります。

聖書は世界の始まり、元々の世界は定言命題だと語ります。
聖学院がOnly Oneを見つけよう、と取り組んでいることは、世界の根っこに帰ろうと言うことでもあります。

Only Oneと向き合う。
それは世界の基底と向き合うことでもあるのです。