2021年3月 聖学院中学校第74回卒業式式辞
死の影の谷を行く時も わたしは災いを恐れない。あなたが私と共にいて下さる。(詩編23編4節)
間もなく2020年度を終えようとしています。振り返ってみるとこの一年は新型コロナウィルスの感染拡大により全世界が翻弄され、実に多くの人々が苦しみ、悲しみ、命を落としてしまいました。皆さんは、今回のような未曾有の逆境の中を忍耐し、目標を見つめながら、「今何ができるか、今何をすべきか」と自分に問いながら今日まで頑張ってきたことと思います。
中学を卒業し、高校に進学していく皆さんは、中高6ヶ年一貫教育の前半を終了し、4月から残りの後半を進んでいくことになるわけです。中学の卒業は同時に高校の始まりです。皆さんはこれまで、保護者の方々はじめ友達、クラブの先輩、担任や学年、教科の先生から愛され、訓練され、アドバイスをいただき、困難に立ち向かうとき助けられて、今日まで来ることができたのではないでしょうか。
現在のこのコロナ禍の状況は、私たちの多くにとって逆境と言えると思います。人生には順境と逆境の時があります。聖書はこれを当然のこととして受け止めています。しかし、神がいるのなら、順境の時だけにしてくれたらよいのにと思ったり、或いは、神が愛ならば、なぜ人生に逆境があるのかと、思ったりもします。順境のときは神の愛を感じやすく、逆境の時は神から見放されたと感じやすいからです。聖書は、順境の時は喜びの時、逆境は反省の時だと教えています。(コヘレトの言葉7章14節)しかし、喜ぶ時には共に喜んで下さる神がおられ、反省する時も、自分に向き合う心が壊れてしまわないように支えて下さる神がおられると聖書は告げます。私たちに希望を与えるのは順境ではなく、また、逆境も私たちを絶望させることはできません。神が共にいて下さることが私たちの希望であり、神との関係が失われていることが絶望だからです。逆境の中でこそ、神と深く結びつくことができるのではないでしょうか。
東日本大震災から10年が過ぎ、この出来事を忘れないようにと色々な企画やテレビ番組が放送されています。先日、さだまさしさんの曲「いのちの理由」が流れていました。素敵な曲で、その歌詞に心打たれました。一部を紹介します。そっと心に問いかけてみてください。
私が生まれてきた訳は 父と母に出会うため
私が生まれてきた訳は 兄弟たちに出会うため
私が生まれてきた訳は 友達みんなに出会うため
・・・
幸せになるために 誰もが生まれてきたんだよ。
悲しみの花の後からは 喜びの実が実るように
私が生まれてきた訳は 何処かの誰かに救われて
私が生まれてきた訳は 何処かの誰かを救うため
しあわせになるために 誰もが生きているんだよ
悲しみの海の向こうから 喜びが満ちてくるように
自分がこの場所にいる意味や、自分がどんな風にあるべきかを、こんなにわかりやすく、こんなに素直に納得させてくれて、心が落ち着くような、勇気をもらうような、知らず知らず涙が出てくるような、そんな歌です。
震災があったり、新型コロナパンデミックなど、様々な事が起きたりしますが、私たちが生きていることには、それなりの理由や使命がある。誰一人として不必要な人はいない。家族や友人たちに出会いながら、生きていることの意味も考えながら一度しかない人生を生きていこうという、心に染みる曲です。
この歌詞を読むと、私たち一人一人が神から愛された貴い存在として生まれてきていること、そして、実は、その神から預かって委ねられている自分の命と人生を誰かのためにつかうために生かされていることを知らされます。本校のOnly One for Others の理念が思い出されます。
旧約聖書の箴言に次のような言葉があります。「人は手の働きに応じて報いられる」(12章14節) この言葉に関連するアメリカの有名なお話を一つします。100年以上前の実話です。
「突然の雨に濡れて、おばあさんがピッツバーグ百貨店に雨宿りに入ってきました。あちこちの売り場を見ながら歩いていましたが、店員の目には、濡れた髪と服から、客としてきたものでないと判断し何の応対をする者もいませんでした。どころが、家具売り場に来ると、若い店員が、おばあさんに声をかけて「雨が止むまでここで休んでいくように」と、ゆったりした椅子をすすめてくれました。やがて、雨がやむと彼は、おばあさんを案内し、帰りの道順を間違えないようにと教えてくれました。
数日たった時、家具売り場に手紙が届きました。差出人は、鉄鋼王として名の知れたカーネギーからでした。「母が親切な対応を受けて感謝しているということ。そのことのお礼に何かできることをするように頼まれたので、今度、新しく別荘を造っているから、その家の家具を買い入れたい。また、今後は、会社の家具類の購入においての指定先とする」という内容のものでありました。まさに「人は手の働きに応じて報いられる」出来事でした。
皆さんは、これまで聖学院3年間の礼拝や聖書の授業で、聖書のことばを聴いてきました。皆さんの心に蒔かれた聖書の種は、やがて時が来ると芽を出し、豊かな実を実らせると聖書は約束しています。「あなたがわたしと共にいてくださる」この言葉を自分の心にしっかりと刻みましょう。
「比較は喜びを奪う」とアメリカ合衆国第26代大統領セオドアルーズベルトは言いました。Only One for Othersのモットーは人と比較して喜んだり、落ち込んだりする生き方ではなく、変わらぬ愛をもって見守り、決して見捨てることのない神に信頼して生きる道を歩む生き方を指し示しています。今日卒業する皆さんには、友達、先輩、後輩、家族、先生との出会いに隠された神の御心に思いを寄せて感謝し、神を見上げつつ、神の導きに信頼し、神が用意してくださっている新たな出会いに向かって歩み続けていただきたいと願います。
実は、私も、皆さんと一緒にこの3月をもって聖学院を卒業していきます。4月から新たにつかわされる校長先生と共に聖学院の新たな歴史を刻んでいってください。改めて、本日は卒業おめでとうございます。これを持ちまして、式辞とさせていただきます。
(校長:角田秀明)