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死を見据えて生きる

先週、敬愛する教会員の告別式が行われました。召された方を偲び、3名の方が言葉を語られました。転勤で八戸、北九州、関西、東京と各地で生活しながら仕事一筋に生きられた方でした。全国に数多くの支店をもつ大手企業に勤め、社内ではセールスマンとしての実績を高く評価され「ベストセールスマン賞」を頂いた経歴のある方でした。日本の何処に移っても教会生活を続けられ、最後に東京に帰ってからの彼と同じ教会で信仰生活を共にすることを許されました。奥様と共に86歳まで神を信じる生涯を全うされ天に召されました。

告別式では、出席された方々とこの方の愛唱讃美歌「歌いつつ歩まん」を共に歌いました。
「主にすがるわれに 悩みはなし 十字架の御許に 荷を下ろせば
 歌いつつ歩まん ハレルヤ ハレルヤ 
 歌いつつ歩まん この世の旅路を」

告別式に出席すると人生について、命について立ち止まって考える時を与えられます。キリストを信じて罪赦された人にとって、肉体の死はもはや悲しいことではありません。残された人々にとっては、しばしの悲しみの時を通らねばなりませんが、その人自身は地上の煩いから放され、神のみもと、地上よりはるかに素晴らしい天国に行くことができると聖書は約束しています。

本校では、コロナ禍の中、チャプレンを中心に放送礼拝を守っています。キリスト者の教員が代わる代わる聖書のことばを取り次いでいます。一般の公立学校や私立学校にはないキリスト教学校ならではのミッションとして聖書の言葉を伝えています。

たまたま私の所属する教会で旧約聖書の「コヘレトの言葉」を学んでいますが、中高生の生徒に伝えたい言葉がいくつかあります。
「若者よ、お前の若さを喜ぶがよい。青年時代を楽しく過ごせ。心にかなう道を、目に映るところに従って行け。知っておくがよい。神はそれらすべてについて お前を裁きの座に連れていかれると。」(コヘレトの言葉11:9)

「青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ。苦しみの日々が来ないうちに。年を重ねることに喜びはない」という年齢にならないうちに。」(コヘレトの言葉12:1)

塵は元の大地に帰り、霊は与え主である神に帰る。・・・すべてに耳を傾けて得た結論。「神を畏れ、その戒めを守れ。」これこそ、人間のすべて。神は、善をも悪をも 一切の業を、隠れたこともすべて裁きの座に引き出されるであろう。(コヘレトの言葉12:7、13〜14)

聖書は、「死」とは肉体と魂の分離であると記しています。その時すべての人が、地上で歩んできたことの一つ一つを神様の前で申し開きしなければならない、というのです。年を重ねるとともに、体はあちこち衰えていき、美しく見えたもの・素晴らしく見えたものが一つ一つ消え失せていきます。そして最後には私たちがこの地上でなしたことが問われるのだとしたら、私たちが本当にしておかなければならないこと(例えば、あの人との和解、罪の処理、・・・)がはっきりしてきます。

死をしっかり見据えることによって、本当に価値あるものを見る識別力・表面的ではなく深いところでの交わりを大切にする人間関係・物やお金に捕らわれるのではなく正しく対処する力などが備えられ、人生が何倍も意義深いものとなるのだと思います。