校長対話『世界が視えるまでがんばれ』
2012年4月から就任した戸邉校長は、昨年までタイのメーコックファームという施設で、山岳少数民族の子どもたちを保護し、教育の機会を与える活動を展開してきました。そこでは、小さき子どもたちが、地球規模の危機を直接こうむっています。彼らの痛みをシェアし、笑顔に変え、共に生きる力を生み出せるように、ケアと解決のために奔走してきたのです。
しかし、子どもたちに迫りくる地球規模のこの危機は、日本にも襲いかかってきています。そしてすでに日本固有の危機も生まれています。この事態を見過ごさないで把握できる知性、解なき社会の問題を多くの仲間と解決していける学びを創り出していくことが急務であるという問題意識を、教職員とまずは共有しようと校長対話が始まりました。
戸邉校長 就任して短い時間ではあるが、先生方と話をしていて、聖学院は変わるな、そして何かを変えるなという予感がする。すでに4年間毎年タイ研修で、先生方や生徒たちと共同生活をする中で、大事なことをシェアしてきた。日本で損得勘定を気にして生活していることがいかに小さな出来事で恥ずかしいことなのか、そんなことよりももっと地球規模の大問題があるということを共に体験できた。そこが聖学院の教育の真髄。その真髄を確かめるところから教育をスタートしたいと考えている。
伊藤先生 聖学院は、生徒と生徒の距離が近い。弱肉強食とか優勝劣敗という関係はつくらない。だから、メーコックファームに行ったときも、少数民族の子どもたちと思い切りのびのびと暮らすことができた。賛美歌をいっしょに大きな声で歌い、手拍子までとっていた。
戸邉校長 そうなんだ。そののびのびとした姿勢や心構えがあるからこそ、世界が視えてくる。世界の問題を認識することができる。世界が視えたとき、小さなことを気にしながら生きている自分の生き方が恥ずかしくなる。
伊藤先生 たしかに、自分が何もできないことをまざまざと知り、ショックを受けていた。でもそこから何をやらなければいけないか、受け身の勉強が、急に主体的な探求的な学びになり、思考が回転し、多くの人にプレゼンする勇気と自信を抱くようになった生徒も出てきた。
平方先生 まさに「学ぶ力・学ぼうとする力」を体得したということだね。
戸邉校長 そういう世界が視えるまでがんばる学びを聖学院の授業や教育活動の中にどんどん作っていってほしいなあ。
平方先生 それこそ21世紀型教育の本当のビジョンであるし、実はこれはユネスコの学びの考え方Learning to live together(共に生きることを学ぶこと)にもつながること。
日野田先生 聖学院の教員は、どこよりもクラス運営に力を入れているので、世の中で問題になっているように、生徒に自己否定感を抱かせるようなことはない。特に、今授業フォーラムという教科の境界線を越えて教員が自発的に集い、生徒たちが自己肯定感を抱けるような学びあいの環境づくりを試み研究している。そこでは、答えを覚えさせるのではなく、答えをつくりだすことを大切にしている。
戸邉校長 そのような環境があるから、生徒一人一人が安心してのびのび学べるし、のびのび学べるから、世界の大きな問題意識を共有できる。そうなると、先ほどの伊藤先生のタイ研修から帰ってきた生徒たちの話ではないが、生徒自身の内面で「自己変革」が起こる。
高橋先生 それを授業の中でも生み出したい。大学に合格できればよいという発想は、自分から型にはめて、答えを覚えていくような安易な生き方を選ばせることになる。たしかにそのほうが楽ではあるが、自分が変われば、本当に何をすべきか了解できるし、やるべきことが見つかれば、主体的に学ぶようになるものだ。そして、大学入試を突破することは、もっと先に果たさなければならないことに挑戦するために必要なのだと、本当の意義を見つけることができるようになる。
戸邉校長 そういう大きな問題意識の投げかけと受け入れのやりとりこそ、聖学院の授業の真髄だね。受験のための知識を大量に押し付けられて、非常に狭い個別特殊的な生き方に固執していく人材をつくってはいけない。先生方は若いから、よしもとばななは知っているだろうけれど、その父親の吉本隆明という思想家のほうは知っているかい。日本や世界の危機を認識し、目の前の個別特殊的な生活に固執している大衆を、世界の大きな問題の前に引きずり出して、固定観念や先入観の壁を乗り越えさせ、社会を変える想いを表現してきた知識人だよ。
平方先生 そのような本当の意味での知識人こそ、21世紀という時代が求めている人材であるし、そのような人材を育成することが聖学院の21世紀型教育。学ぶ力・学ぼうとする力・共に生きる力が、生徒たちにとって生きる価値の問題を解くのにどれほど重要か、改めて聖学院の教育の責任を確認できたと思う。
日野田先生 ひとの考えを聴いて、受け入れてシェアしていける人材として、生徒を育てていくには、生徒が自己変革するだけではなく、私たち教員も変わらなければならないと考えている。だから授業フォーラムで、教員も共に学びあっているのである。
伊藤先生 教師も学びあうし、生徒も学びあうというのは、ほんとうに大事。ただし、学びあうというグループワークのようなプログラムをつくるには、教師側に相当の素養がいるし準備が必要。
戸邉校長 たしかにそうだが、わからない時には率直にわからないと言えばよい。それで生徒が調べて、逆に教師に教えてくれるということが起これば最高だ。
高橋先生 教師と生徒の学びあいに発展。これはすごいことだ。教師どうしの学びあい、生徒どうしの学びあい、教師と生徒の学びあい。キリスト教の思想や哲学のバックボーンがある聖学院だからこそ対話や議論として展開でき、世の中の価値観と生徒自身の考えや意志をぶつけ合うことができる。
戸邉校長 教師が知識を独占していた時代は終わった。そういう価値観や考えをぶつけ合いながら、大きな問題の輪郭が見えてくる。学びとは世界が視えるまでがんばることだよ。先生方と生徒といっしょに、グローバリゼーションの光と影に対応できる人材=知識人を育成する学びを作っていこうと覚悟している。今日は対話ができて有意義だった。ありがとう。