§6. 「学ぶ力」と「学ぼうとする力」
受験生の授業体験「パスカルの三角形」
数学科の教員は、常にこう語り合っています。「数学は閃きで解くように見えるけれど、それは中学からの地道な積み重ねの結果であって、その過程は目に見えないから、あるとき、わかった!と生徒が歓喜すると、それが突然やってきたように見えるだけです」と。
では、地道にやってさえいれば、誰でもがパカーンと音を立てるように「わかった!」となるのかというと、そう簡単でもないのです。
出来る限り多くの生徒が「数学がわかった!」となるようにしたいので、いつもそのような話をしています。数学とは何か、生徒がわかるときの様子は何かについて互いの授業の経験の情報交換をしているのです。
たしかに、多くの生徒がわかるためには、具体的な教具教材を工夫することも大事ですが、教具教材は自転車の補助輪に似ていて、いつまでもつけていたのでは、数学はなかなかわかるようにならないのです。なぜなら、もともと数学はとても抽象的な思考の組立ての過程ですから、学年が上がるにつれて、具体的な要素、たとえば、単位などはどんどん捨象していきます。
数学科の教科会議
そのような話をしていたときに、グローバル人材を必要としている大企業に勤めている父親が、息子に学ばせたい一番の教科は何かというリサーチ結果が、ある雑誌でちょうど公開されました。グローバルだから英語とすぐ結びつきそうですが、実は数学でした。
当然ながら、それはなぜかという話になりました。
1つは、交渉をするにしても、企画を立てるにしても、ITを使うにしても、数学的思考、つまり「論理的思考」が大切だからだろうという話になりました。
また、グローバル企業は「タフな精神」を必要とするからではないかという話にもなりました。つまり、高校で微積ができるようになるには、中学からの数学の知識やn次方程式の操作方法、幾何のルールなどをすべて理解し、かつ使えるようにしておかねばならないのです。その修行のような道に耐え得る忍耐力こそタフな精神を育てるということではないだろうかというわけです。
そして何より、そのような積み重ねと論理的思考過程が結びついた時、「発想」豊かな人材が育つのであると。
ところで、その積み重ねが成立するのは、なぜでしょうか。それは、生徒が自ら教師に質問にくるからなのです。方程式の解き方の手順や数学的知識について質問しているうちは、まだ授業の反復です。しかし、同じような問題なのに解けないのはなぜか、その違いについて質問しにきたり、補助線のイメージの仕方はどうすればよいのかなどもどかしい悩みをぶつけてきたりするようになると教師はひそかに喜びます。「数学というものがわかりかけてきたな。しかし、まだまだ」と。ヒントはいっしょに考えますが、そこから先は生徒が自分で考える時間が大事です。6年一貫教育のメリットは、生徒が考え質問する時間を教師と共に学べることです。質問こそ「学ぶ力」と「学ぼうとする力」を強化するのです。