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実を結ぶのは、あれか、これか、両方なのか、分からないのだから

「朝種を蒔け、夜にも手を休めるな。実を結ぶのはあれかこれか それとも両方なのか、分からないのだから。」(コヘレトの言葉 11章6節)

今から約200年前の出来事を紹介します。スコットランドの田舎の教会で、日曜礼拝が終わった後、教会の役員たちと牧師と話し合うために残っていました。役員会は牧師の辞任を希望していると言いました。彼らは牧師が年を取りすぎていて、職務を満足にはたすことができないでいると感じていました。彼らは自分たちの主張を裏付けるために厳しい質問をしました。
「先生の在職中に、回心者が何人でましたか?」 牧師はすまなそうに答えました。「私の知っている限り一人だけです。それも少年です。」

その後、何年か経過し、ロバートモファットという宣教師がアフリカのクルマン地方へ行って伝道し、その地の全部族をキリスト教に改宗させ、それのみか、その地のことばで聖書を翻訳し、神の言葉を手にできるようにまでしました。このアフリカの輝ける星となった偉大な宣教師こそ、かつて老牧師の唯一の実であった少年であったのです。
さらに、ロバートモファットの娘がやがて結婚しましたが、その夫はリビングストンと言い、スコットランドの探検家、宣教師、医師であり、ヨーロッパ人で初めて、当時「暗黒大陸」と呼ばれていたアフリカ大陸を横断しました。第一次、二次、そして第三次アフリカ探検をし、また、現地の状況を詳細に報告し、アフリカでの奴隷解放へ向けて尽力した人物でもあります。

「実を結ぶのは、あれか、これか、両方なのか、分からないのだから」
結果が分からないから、今、やるべきことをしっかりとやろう、というのが、旧約聖書の信仰であり、人生の時間のとらえ方です。しかし、明らかなことは、どれかからは必ず実がなるということです。ですから、たとえ、途中で本当に実がなるか疑問に思う時があるかもしれないけれど、必ず、実がなると信じて、諦めることなく、自分の種を蒔き続けましょう。