中学卒業式 式辞 3月18日(金)
皆さんは中学入学当時の意気込みや目標は、この3年間の間でどれ程実現できたでしょうか。振り返ってみればある人は充実した悔いのない有意義な3年間であったと評価できるでしょう。ある人は今になってこういう点について、こうすればよかったのにと残念がっているかもしれません。過去3年間について、皆さんがどう評価しているかは私にはわかりませんが、肯定的な評価をする人、否定的な評価をする人のいずれの人に対しても、同じことを申し上げたいと思うのです。
すなわち、過去は必ずしも将来を決定的に左右するとは限らないということを申し上げたいのです。
自分を振り返ってよくやってきた、充実した生活を送ったと思っている人も、もし自己満足してそこに止まっているのであれば、それまでの良い努力や成果もゼロになってしまうでしょう。反対に、今になって後悔することが多く、挫折を覚えている人でも、もし、失敗と思われるような経験から学ぶべきものを学び取って、そこを乗り越える切っ掛けにしていけば、失敗と思われた過去も有益なものになるのであります。つまり、自分の過去について、「成功であった」とか「失敗であった」とかの評価それ自体が大切なのではないのです。大切なのは、今までの経験を将来のために良き教訓として生かすかどうかなのであります。
皆さんは、どなたも幸せな人生を送りたいと願っているでしょう。私たち、教職員も皆さんの幸福を願ってやみません。フローレンス・シンというアメリカ人の心理学者がいます。この人は、人間の切実な願望について、また、幸せな人生を送るために必要かつ十分な条件について研究を重ねてきた学者です。彼女の名言に次のような言葉があります。
あなたは、自分が与えたものしか 受け取ることは出来ません。
人生のゲームは、 ブーメランのようなものです。
あなたの考えや行動、そして言葉は、
やがて驚くほど正確に 自分に戻ってきます。
シン博士が言うのに、幸福を構成するすべての要素は、そのあらわれ方は多様であっても、結局、四つの範疇に集約できるということです。第一は物質的な富、第二に健康、第三に人間関係における愛情、第四に自己表現ないしコミュニケーションだと言います。今日は時間の関係もあるので、第三の人間関係における愛情に焦点を当ててみたいと思います。他人に愛され、他人を愛するという人間関係は、やはり、人が幸せになるのに不可欠です。私たちにいくら富があっても、いくら健康であっても、他人に愛され、他人を愛することができないならば、幸せであるとは言えないし、幸福感もないでしょう。聖書で言われている愛とは、同情や甘えと言った単なく感情なのではなく、相手の成長と幸福のために役立とうとする態度であります。
米 国の黒人奴隷解放運動の指導者であった、M.ルーサー・キング牧師が次のような言葉を残しています。「人生で最も永続的で、しかも緊急の問いかけは『他の人のために、今あなたは何をしているか。』」
どうか、卒業生の皆さんは、今までの親子関係、師弟関係、友人関係において学んだものを活かしていただきたいのです。そして、このキング牧師の問いかけに応えつつ、これからの人間関係を愛に根差したものにして、益々幸せになっていただきたいと願っています。本校の教育モットーである、Only One for Others 他者のために生きる人を意識して間もなく迎える高校生活にそなえていただきたいと思います。
「神は独り子を世におつかわしになりました。その方によって、私たちが生きるようになるためです。ここに、神の愛が私たちの内に示されました。私たちが神を愛したのではなく神が私たちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をおつかわしになりました。ここに愛があります。愛する者たち、神がこのように私たちを愛されたのですから、私たちも互いに愛し合うべきです。」(ヨハネの手紙1 4章9~12節)