SEIG NEWS

新型コロナとの闘い(Part 2)

4月7日の政府の「緊急事態宣言」の発令から3週間が経過しました。発令時では5月6日までを当面の休校期限としていましたが、日々感染者が増加している現状を考慮し、学校法人聖学院は駒込キャンパスの幼稚園~中高の全校を5月末まで休校延長することと致しました。生徒・保護者の皆様には4月28日にその旨お知らせをしたところです。

本校では、4月13日から毎週100本、今週まで300本の授業動画を作成し、生徒が家庭で視聴できる体制を構築してまいりました。5月連休明けからは更にコンテンツの改良に取り組み、生徒からのレスポンスを受けながら、自学自習力、思考力の向上に繋がるプログラムを目指してまいります。

さて、私も可能な限りStay home をまもり、感染のリスクを避けるよう努力しています。先日NHKでも放送されたばかりですが、本校の卒業生神田松之丞がめでたいことに今年2月、6代目神田伯山を襲名しました。彼は「今もっともチケットの取れない講談師」と評価されている人気の高いプロフェッショナルです。今のコロナ禍の状況ではYouTube で彼の講談を楽しむことが可能です。一度、視聴してみませんか。

この期間はまた、いつもより読書が出来る時間が与えられています。私も、この期間何冊か本を読みましたが、コロナ禍にあるこの時期に、何故かもう一度ヴィクトール・E・フランクルの「夜と霧」を読んでみたいと思いました。アウシュビッツ強制収容所という極限状況に置かれた人間がいかにして人間であり続けられたのか?あらゆる励ましの言葉や、慰めを拒絶して、「私はもはや人生から期待すべきものは持っていないのだ。」という口の利き方をする人に何と答えたらよいのか。

フランクルは、問いの観点変更が必要だと言っています。つまり、人生から何をわれわれはまだ期待できるかが問題ではなく、むしろ人生が何をわれわれから期待しているかが問題だと言うのです。われわれが人生の意味を問うのではなく、われわれ自身が問われた者として体験されるという観点変更が必要だというのです。

聖書のコリントの信徒への手紙一 8章3節に次のような不思議な言葉があります。
「神を愛する人がいれば、その人は神に知られているのです。」

自分が人を見る見方ではなく、神が人を見る見方でその人を見ること。神がその人を見ておられるように、神の眼差しでその人を見ることを学ぶことが求められているのでしょう。特に、教師や親はこの視点で生徒・子供を見ることが大切なのではないでしょうか。