「立ち上がり、歩きなさい」
東京都は、新型コロナウイルス感染拡大に警戒を呼びかける「東京アラート」を6月2日に発動し、11日に解除しました。12日午前0時から休業要請緩和の「ステップ3」に移行し、カラオケ店やパチンコ店、遊園地などの営業再開が可能となりました。そして、自粛から自衛に移るのだと小池都知事は記者会見で述べられました。
以前とは違う新たな日常生活に徐々に戻っていくと思いますが、これまで、約3ヶ月間の外出自粛の環境に置かれて、たくさんの時間を与えられ、この環境の中で否応なく自分のあり方、生き方を考え、自分と周囲を幸せにすることまでも考えた人もいるでしょう。
先週、全校礼拝で使徒言行録の3章の生まれつき足の不自由な男のお話をしました。彼は神殿の境内に入る人に施しを乞うため、毎日「美しい門」という神殿の門のそばに置いてもらっていました。彼はまるで物のように置かれていたのです。自分の意志で動くこともできずに、置かれていました。
彼が自分の足で立てなかったというのは、実はとても象徴的な言い方であることがわかります。彼は、実際に足も不自由だったのですが、そのことによって彼は自分の力で人生を立ち上がって進んでいく力を、もうすでに失いかけていたのです。何の展望も見出せないまま日々を送っていたその人に、通りがかったペトロが次のように言いました。「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい」すると、その男は躍り上がって立ち、歩き出した、とあります。
これは彼の足が実際に癒されただけではなく、彼が自分の人生を自分の力で立ち上がり、歩き出したことを意味していると思います。「立ち上がる」というギリシャ語は、座っている状態から立ち上がるという意味ばかりではなく、人が眠っている状態から「起き上がる」、あるいは死んでいる状態から「甦る」という意味をも表します。また「歩く」というギリシャ語は、「生活する」、「生きて行く」という意味でもあります。
しかし、自分の足で立ち上がり、自分の力で歩き出すということはたいへんなことです。それまですべて周りの人に頼り切っていた人ですから、立ち上がればよろめくかもしれず、歩き出せば転ぶかもしれないからです。そんなたいへんな道を、自分の力で立ち上がり、自分の力で歩き始めたこの男に対して、ペトロはおそらく、こう言いたかったのではないでしょうか。
「安心して歩き出しなさい。転ぶことを恐れてはならない。誰だって、失敗して転ぶことがあるんだから。でも、もしあなたが転んだ時は、私たちのところに来なさい。私たちはいつでもあなたを待っててあげるから」
「立ち上がり、歩きなさい」
この言葉は、この足の不自由な男だけでなく、今回のコロナ禍の中で諦めかけている人や希望を失いかけている人にも語られているのではないでしょうか。