戦争について思うこと
7月31日に一学期の終業式を放送によって各教室で行い、3週間の夏休みに入りました。そして、8月6日は広島、9日は長崎において原爆死没者慰霊の平和記念式典がそれぞれ行われ、15日には第二次世界大戦の敗戦75年目を迎えました。この時期に私たちはメディアを通して、戦争が国内外において如何に多くの尊い命を奪い、人々に不幸をもたらしたかを改めて認識させられました。戦争体験者が証言において異口同音に「戦争は勝ち負けに関わらず人間を不幸にする。絶対二度としてはならない。」と語っていました。
コロナの感染拡大の影響で、私は予定していた帰省を取りやめビデオ通話に変更し、外出を控えて戦争に関する本を数冊読みました。その中で特に印象に残ったのは、ディートリッピ・ボンヘッファーの「獄中書簡集」です。
ボンヘッファーは有名なドイツのプロテスタント神学者で、若干21歳でベルリン大学の神学博士の学位をとって学界に認められた天才的神学者でした。彼はヒトラーのナチスドイツ政権を厳しく批判し、ユダヤ人迫害に抗して声をあげたごく少数の一人でした。ガンジーを尊敬する平和主義者でしたが、1943年4月にゲシュタポに逮捕され、その後およそ2年にわたって強制収容所に投獄され、連合軍による開放が間近に迫っていた1945年4月9日に絞首刑にされました。39歳でした。実に、ヒトラーが4月30日に自殺する3週間前でした。彼はコルベ神父、マーティン・ルーサー・キング牧師、ロメロ大司教と並んで20世紀の殉教者の一人と言われます。
彼が処刑される4ヶ月前の1944年のクリスマスに婚約者と家族に送った詩が、後に讃美歌となって広く歌われるようになっています。強制収容所の中で、不安と闘いながら、切迫した中での平安を語る彼の詩は、大きな慰めを教えてくれます。いつの日か解放されて婚約者や家族、友人と会える日を望みつつ、しかし、深いところではすべてを神に信頼し委ねる信仰に心打たれます。ここに歌詞を引用しますが、YouTubeで聴くことができますので、是非一度聴いてみてください。(お勧めは、2015年12月13日大和カルバリーチャペルの坪井永城師の特別賛美)
「善き力にわれかこまれ」
1 善き力に われかこまれ、守りなぐさめられて、
世の悩み 共にわかち、 新しい日を望もう。
2 過ぎた日々の 悩み重く なお、のしかかるときも、
さわぎ立つ 心しずめ、 みむねにしたがいゆく。
3 たとい主から 差し出される 杯は苦くても、
恐れず、感謝をこめて、 愛する手から受けよう。
4 輝かせよ、主のともし火、われらの闇の中に。
望みを主の手にゆだね、来たるべき朝を待とう。
5 善き力に 守られつつ、来たるべき時を待とう。
夜も朝もいつも神は われらと共にいます。
(讃美歌21 469番)
自分の死の間際にあって、まさにあらゆる悪を前にしても彼はそれらに負けることなく絶望することなく、善をもってそれに打ち勝つことができました。それはどんな時も彼が神の良きわざに守られていたからです。神は私たちがどのような場所にいても、どんな事態にあったとしても、共にいてくださり、変わることのない永遠の腕で支えてくださいます。ボンヘッファーはこの神に信頼し、どんな深い闇に取り囲まれていても、そのすべてを委ね、希望の光を待ち望み、共にいてくださる神の大いなる助けを経験することができたのです。
「光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。」(ヨハネによる福音書1章5節)